2012年3月30日金曜日

「共に生きる」ということ。

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 聖書の一番最初。創世記の初めの方。

エデンの園にアダムという最初の人間を創ったあと、神様がアダムにこう言うんです。



「人が独りでいるのは良くない。おまえに合う助ける者を造ろう。」



そうして、アダムが眠っている間に彼のあばら骨を取り出して、彼を助ける者、つまり、イブを創るのです。


そして、彼らは世界で最初の夫婦になります。




キリスト教で「共生」という概念が大切にされる理由は、聖書のこの箇所のせいなんじゃないかと思います。



嘘かホントか知らないけれど、これが結婚の起源なんだよ、とある人から聞いたことがあります。





まぁ、そんなことはどうでもよくて。







あたしは、「共に生きる」ということが苦手です。



誰かとすごく近づいたり、誰かに心を預けるということが苦手です。










あたしは少し変わった恋愛観をもっています。



付き合うとか別れるとか、そういった類いのもの(英語でいうrelationship stuff)が嫌いです。

互いに依存したら、一人になったときにどうやって生きればいいかわからなくなるだけ。

自分の二本足で立っているかぎり、いつだって次に進める。

だって、commitmentがあったってなんの確証にもならない。

そんなんなくたってお互いを1番に思い合えればいい。








ひょっとしたら強がりなのかもしれません。


でもこんな破天荒な考え方をしてしまうのは、「共に生きる」ということが苦手だからだと思います。









神様は言いました。
 
 「人が独りでいるのは良くない。」




それはアダムとイブの時代からウン万年経ったいまも同じです。




人は本来、他者と共に生きるもの、他者との関係の中の存在です。


誰もが他人の趣向に合わせて生き方を変容させています。

誰かが喜ぶように、

誰かが悲しまないように、

誰かが救われるように、

誰かが傷つかないように、
 
って。


「周りのことを気にするな」って言われて、気にしないことは可能かもしれないけど、無視することは不可能です。


だって、その"周り"もあたしを形成する一部だから。












神様が世界で最初に創った共同体は、夫婦でした。

そして家族が生まれ、友達が生まれました。

独りで生きられない人間はその後たくさんの共同体を生み出しました。

共同体は複雑化していき、頭の良い人間は見えない世界にまで共同体をつくりました。

facebookやtwitter、ブログや掲示板もそのひとつだろうと思います。









人は、いきいきと生きるために誰かと関わり、共同体をつくるのでしょう。











ママがいて、パパがいて、お姉ちゃんがいて、あたしがいます。

おばあちゃんがいて、おじいちゃんがいて、パパとママがいます。

そのまたうえにもっと数えきれないほどのあたしの先祖がいて......。


みんながみんな支え合いながら、共に生きてきたんでしょう。





あたしだって人間です。独りじゃ生きられません。

神様が創ったのと同じ共同体をあたしもいずれつくるのでしょう。






あたしがこれから先どんな人に出会い、どんな人生を送るかなんてまだまだわかりません。


けれど、共に生きることを避けてる自分、一匹狼に美徳を感じている幼稚な自分とはそろそろおさらばしないといけません。




誰かと近づくことを、心を預けることを怖れずに、いきいきとありのままの自分で飛び込んでいけたら、あたしを助けてくれるアダムに出会えるんじゃないかな、と思う今日この頃。












明日で3月も終わりです。


今朝、めずらしく太陽の光で気持ちよく目が覚めて、「共に生きる」ということについてなんだか書きたくなりました。






3月30日。


太陽みたいに笑うその人はもう年をとりません。


けれど、みんなの記憶の中で今日も太陽みたいに笑っています。






北風の強いボストンも、もうすぐ太陽の季節です。

明日は暖かくなりますように。

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