2012年5月21日月曜日

ただいま。

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一昨日の夜、日本に無事帰国しました。





先週ケガをしてから、本当に日本に帰れるのかと心配していましたが、無事帰国することができました。






先週改めてハーバードのメディカルセンターの整形外科の先生にかかったのですが、日本の整形外科のようにロッキングを治してくれることはなく(かのハーバードも日本の医学にはかなわないってさw)


「とりあえず膝をケガしてることをアピールして帰れば、きっとみんなが助けてくれるから。とりあえず頑張って帰って、日本の優秀な整形外科医にかかりなさい。」


と言われたので(笑)、先生の言う通り、膝にブレースをして、松葉杖をついて帰ってきました。








実際、松葉杖をつかなくても歩けるくらいには回復していたのですが、天下のハーバードが"膝をケガしてることをアピールして帰れ"と言っていたので、言われた通り松葉杖をついて帰ってきたんです。



にしても、松葉杖パワー半端ない!




まず、ボストンローガン空港では、helpが必要な人のcheck inのところでタクシーから降ろしてもらって、荷物をcheck in。

スーツケースが(50ポンドまでのところを)10ポンド超過しており、50ドルの超過料金をとられるとこでしたが、



"You had enough coming here...."


ということで、超過料金ゼロ!




そのあと、荷物検査も搭乗のラインもどこも並ばずに一番。



さすが弱者に優しいアメリカ。



LAに行く飛行機のなかでみんなから飛行機に乗るまで読んじゃダメだよ!って言われてた手紙を開けました、

みんなの感動的なメッセージ(先日みんながプレゼントにくれたテキーラボトルに入ってたメッセージ!)にうぉんうぉん泣き、嗚咽しちゃうほど。
それまで仲良く話してた隣の席のNUの学生も、思わず他人のふり。笑




乗継地のLAXでは、飛行機からおりた瞬間、車いすが待機。


健康な体でもできれば歩きたくないほど遠い国際線ターミナルへも車いすでひとっ飛び。




そして、マレーシア航空のcheck inのところで、ボストンでバッグを2個check inしたことをすっとぼけて(国際線は2個までタダ)、


「このダッフルバッグcheck inしてもらえますかー?」


って言ったら、お客様情報を調べられて、


「お客様はボストンですでに2個check inしてます。」


的なことを言われて、げ!っと思った矢先、ここまで車いすを押してきてくれたおばさんが


「あんた、この子ケガしてんのよ。1個くらい入れてあげなさいよ。」


って言ってくれて、なんと3つめのバッグも無料で預けられてしまいました!笑




そのあとbag-freeになったあたしは、松葉杖でduty freeなどをうろつき(笑)、出発ロビーへ。 




パソコンの充電をしようとプラグを探していると、アメリカ人のおっさんも探し中で。


2人とも同じタイミングで見つけたものの、ここもまたケガ人優先の法則が働き、無事コンセントをget!


6時間近くの待ち時間、電話したり映画を見たりして有意義に過ごすことができました。





まあそんな訳でどんな旅になることかと心配していましたが、健康な体で帰るよりも100倍人の優しさに触れることのできた旅でした。


















さて、時間は戻り、帰国前夜の話。


帰国の便が朝7時だったこともあり、遅くとも5時には寮を出発しなきゃいけないことがわかっていたのですが、12時からCarlの家で最後のBP drunk night!!



酔っ払う前にmy girlsに手紙を渡しました。
 


暴露ゲームをしたりして、べろんべろんになって、楽しい気分になったのも束の間、Jadeがわんわん泣き出すので、みんなも急に泣き出す始末。



朝4時をまわり、そろそろあたしも帰らないといけない時間に。



Eddyと泣きまくるJadeを連れて、タクシーに乗り込み、まずは一番近い私の寮へ。




タクシーを降りるとき、Jadeが

"I won't let you go!!!"


ってわんわん泣くのでこっちも号泣。

でもEddyが説得して、2人ときつーくハグをしてバイバイ。


2人の乗るタクシーが涙で見えなくなるのをこらえて、寮に帰ろうとするも、足が前に進まず。


空を見上げてわんわんわんわん泣きました。







思えば、21年間生きてきて、これほどまでに誰かに必要とされたことはなかったです。


こんなに誰かと別れたくないと思ったのも初めて。

We'll never be apartなんてくさいこと言ったのも初めて。

友達の車がいなくなってからも声をあげて泣き続けたのも初めて。



それこそ、体の一部がなくなったみたいでした。










でもLizzとJadeとは一生友達です。


Bostonで、Hawaiiで、LAで、東京でこれからもずっと同窓会を開き続ける予定です。












あまり真の友達ができないあたしにとって、こんなに大切な友達ができた留学は本当にかけがえのない経験でした。
















でもこんな経験ができたのも、すべておじいちゃんやママやパパ、お姉ちゃんの支えがあったからこそです。






この1年でのさまざまな出会いがあたしの人生を大きく変えてくれました。

将来設計も、人を見る目も、世界を見る目も全てが大きく変わりました。


















これから先、この留学での経験をこれからの人生できちんとfeed backできるように、これからも一生懸命頑張っていきたいと思います。






全ての出会いに感謝!






Love you guys and I'm forever grateful!!

Gos bless y'all♥




MIYU a.k.a. Chi Chi™


2012年5月13日日曜日

Missing

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ファイナルが全て終了し、もう帰国まで週間となりました。



ファイナルが終わったら、Party三昧で、今日からはチームのみんなでNYに行って、ただただひたすらclubbinをしまくるはずでした(NYのクラブのテーブルまでリザーブしてた。。。)。








だがしかし、木曜のファイナルが終わった後、みんなでBar hoppinをしていて、5件目にクラブに行った時のこと。



段差があるところで右足で着地をした際に、 例の右膝がロッキングして、歩けなくなってしまいました。
(ロッキングとは、半月板損傷してる人にたまに起きる脱臼みたいなケガです。足が伸ばせなくなって固まっちゃって歩けなくなるんです。これがめちゃんこ痛いんだ。)








その後、帰る時もIlyaにおんぶしてもらってどうにか帰宅。



NY tripのこともあるので、翌日すぐに大学病院の救急外来を受診。


いつも通り、ガチャって整復してもらえると思ったのに、アメリカのヤブ医者は松葉杖とプロテクターをくれるだけで何もしてくれず。

Just rest. Wait and see. See your doctor asap when you get back to Japan.

こんなこと、医者でもなんでもないあたしでも言えますけど。



色んな先生をたらい回しにされて、3時間以上病院にいたけど、何も進歩なし。

松葉杖とか、病院いかなくても、(いま引っ越し期間だから)寮のゴミ箱行けばあるし。まじふぁっく。







で、いまに至ります。
いまだに歩けません。




留学生活最後にして松葉杖のあたし。

なんて不運なんでしょう。







昨日はチームの追いコンがあったのですが、NY tripのことを考えて、追いコンは行かずに安静にしていようと思ったのですが、この足じゃNYなんて到底無理だと思ったので、せめてみんなの顔を見に行こうと思い、徒歩5分の場所にあるCarlの家にタクって行くことに。


金曜の夜ということもあり、タクシーをつかまえるのも至難の業。
ようやくつかまえたのはいいものの、あまりに近すぎて、2ドルで着いちゃったので、運転手さんに申し訳なくて、


「ほんとに助かったわ。チップも奮発しておくね。」

と4ドル渡すと、

「君は怪我してるんだから、車が必要なのは当たり前なんだ。そんなこと考えなくていいんだよ。」

2ドルbackしてくれました。


(あぁ、神様。世間の人はこんなにも弱者に優しいのね。)




松葉杖で登場すると、案の定、

"What the f**k happened to you!?"

とみんな大騒ぎ。



メールで松葉杖だよって言っといたやん、てか昨晩一緒にいたやん、と思いながらも経緯を説明。




そして、「NYには行けないけど、みんなはせっかくの卒業記念だしゼッタイ行ってね!」という旨をみんなに伝えると、4年生たちが何やら会議を開始。





しばらくすると、Lizzが

"Miyu!! Big announcement!!"

と言うので何かと思ったら、


"We're gonna cancel our NY trip."


とのこと。




ダメだよ、行きなよ、と言いまくったものの、

"Miyuの最後の1週間のうちの3日間も1人にしておくわけにはいかない。私たちは一緒にいないと!NO ONE LEFT BEHIND!!" 


の一言に完敗。


というか号泣。





あたし、世界一ツイてないけど、世界一ステキな友達に恵まれました。










そして、Carlが何やら酒のビンをたくさん持って登場。


「今年でチームを離れるみんなに俺たちからのメッセージだ!」


と言って、お酒のビンをテーブルに陳列。






そう。各々の好きな酒のボトルにみんなのメッセージが入ってたんです。


あたしの好きなEl Jimadorのボトルを見つけて、歓喜!そしてまたもや号泣。






 
そして、今夜はもうstayすると決めていたので、ケガ人のくせにcase raceにも参戦。

予定通りpass out。




Partyも終わり、IlyaとPepeとはこれで会うのは最後になるので、ギューーーってハグをして最後のお別れをしました。


むしろ彼らのためにpartyに行ったようなもの。


思えば、Ilyaとは去年の11月に大喧嘩をしてから、ホントいろいろあったけど、彼はいつもあたしの近くにいてくれました。Bostonで1番の男友達だったと思います。本当に本当にありがとう。こんなにも年中pissする扱いにくい人に会ったのは初めてだったけど、あなたのことはなぜか大好きです。


Pepeはね、もうね、なんかね、大好き。ほんとにいつも予定が合わなくて、Motherf**ker Institute of Technologyを何度恨んだことか知れません。でも最後は来てくれてホントに嬉しかった!




























だんだんと人が減っていくBoston。


卒業式を控える4年生以外は、ほとんどの学生がこの街を去り、実家へと帰って行きました。










「みんなと会うのはこれが最後じゃない」と自分をconvincingしてはいるものの、こんなに毎日一緒にいたみんなと別れるというのは悲しいものです。













よく思うんだけど、"miss"って日本語に訳せないよね。
"I miss you"って日本語にしたら、「あなたに会いたい」とか「あなたが恋しい、懐かしい」とかなんだろうけど、 なんかちがう。

というわけで、missって日本語に訳せないから、以下missって言います。

 


誰かとあまり近づくことができないあたしにとって、本当の友達が全然いないあたしにとって、誰かをmissするということはほぼないに等しいんです。
言ってしまえば、あたしは悲しい人間です。





というか、今まで人をmissしたことがありませんでした。
(あ、昔、近所の森田家がアメリカ転勤することを知ったときは泣いたな。) 





けれど、アメリカでは、ここBUでは、人との距離があまりにも近くなりすぎました。それも急速に。


夜中に電話かかってきて
"Come! Drink!"
って突然言われても、出かけられちゃうon campusのこの環境。


誰かとデートしたらすぐに噂が広まって、後日あぁだこうだと言われる世間のせまさ。


実家じゃないから、今日は◯◯の家でsleep overね、って毎週のようにお泊まりがあるこの環境。 


こうやって毎日一緒にいて、踊って、飲んで、食べて、寝て、旅行して、いやでも近づかざるをえなかったBPFの仲間。








思えばたったの9ヶ月でした。

1年にも満たない9ヶ月。

人生が100年あるとして、 そのうちのたったの9ヶ月。1200分の9。約130分の1。








まさかたったこんだけの期間でこんなに愛おしいと思える人たちができたっていうのは、あたしにとっては奇跡みたいなことで。






でも残念ながら、この愛おしい人たちにもう1度会うのはそんな簡単じゃなくて。

このメンバー15人全員が再集結することはたぶんもう一生なくて。



でも、だからこそ、この出会いが大切だったということに気付き、よりいっそうあたしは彼らをmissするんだと思います。








あと1年半で大学を卒業し、就職して、あたしの人生はどんどん進んで行きます。
たくさんの出会いがあることでしょう。もちろん別れもあるでしょう。



でも、大人になればなるほど、ねたみやそねみ、蹴落としてやろうとか、利用してやろうとか、損得感情みたいな、そういう人間の汚いところが人間関係に影を落としていくんだと思います。





だから、こうやってほかに何も考えずに純粋に大好きって思える仲間に出会えることは、この先何年生きたとしても、もうないんじゃないかなって思います。


16年にも及ぶ学生生活の最後にこんなに素敵な友達に出会えたあたしは、本当に本当に幸せ者です。



















留学生活最後にあたしに大ケガを負わせた神様は嫌いです。


でも神様のその行為に何か意図があったのだとすれば、それはこのバカみゆにかけがえのない仲間の大切さを気付かせるためだったんだと思います。


















Lizz, Jade, Nick, Ilya, Justin, Chad, Gillian, Max, Pepe, Carl, Lou, Mitchel, Eric, Val and Miyu.


70億人の人が住むこの地球で、この15人が出会えたこと。


運命とか信じるタイプじゃないけれど、きっとこれは運命です。





 

みんなと一緒に踊ったこの1年はあたしの人生で1番のタカラモノです。




















今までmissしたことがないから、どうやってmissするかとか、どのくらいmissするかとか、全くわからないけど、この大切な仲間を全力でmissしようと思います。



















午前4時。もうすぐ太陽が上がります。



さて、人生で初めての、missする準備をそろそろ始めようかな。

2012年5月2日水曜日

DANCE IS MY LIFE.

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先週末、あたしの入ってるダンスチームBulletproof Funkで、New Jerseyで開かれた、"Defining Rhythm"という大会に出て参りました。


特に入賞したとかはなかったけれど、本当に最高の想い出になりました。


卒業や就職のため、今年でチームを離れるメンバー(私も含め)の想い出作りといった意味合いが強かったので、勝つために作ったsetではなかったし、なんせ舞台上でCypherをかましちゃったからね。


BPFのless-organizedでfree-spiritなカラーがよく出た、最高のステージだったと思います。






あたしはダンスがめちゃくちゃ上手い訳ではありません。
普通の人よりは上手いかもしれないけど、ダンサーの中で言ったら、中の下ってとこです。


ダンスは一見華やかに見えるかもしれないけど、実は過酷な世界なんです。
勝ち負けはなくとも、performanceをするかぎりゼッタイに最高のものを見せなくてはならない。
自分の踊ってる動画を見るたびに、「あたしはいったい何をしていたんだ?」と落ち込み、日々自分の欠点にぶつかる毎日。

他のスポーツと同じく、センスや才能がある人はもちろんいっぱいいて、同じ時間練習しても彼らには追いつけるはずもないから、その倍、いやその10倍練習しなくちゃならない。それでも彼らには追いつかない。


同じ舞台に乗りながら、自分の下手さを認識することは、勝ちや負けで判断されることよりも、 よっぽど辛いと思うんです。
そう、ダンスには「勝利」や「ベスト8」みたいな目に見えるゴールがないから。


みじめな自分の姿を見るのが嫌で、ダンスをやめていく人は多いです。


あたしも今までに2度ダンスをやめました。





でも、もし私がダンスをしていなかったら、それもWaackingというジャンルじゃなかったら、ここBostonでこんなに素敵な仲間には出会えていなかっただろうと思います。こんなに楽しい毎日は送れていなかっただろうと思います。大好きな彼にも出会えていなかっただろうと思います。





なんでダンスについてこんなに熱く語っているかと言いますと、

実は、この間のDefining Rhythmが私のアメリカでの最後のshowだったからです。
すなわち、これが私の人生で最後のステージでした。


日本に帰ったら、もうガチなダンスはしません。ボロボロの膝が「お願いだからやめてくれー」って叫んでいるので。
半月板がすり減りすぎているので、これ以上膝崩れすると40歳くらいでもう歩けなくなるみたいです。 40歳すぎても恋したいし、子どもの送り迎えとかもしたいし、世界遺産巡りとかもしたいので、この膝にはしばらくベンチに入ってもらおうと思います。



この膝のせいで今までたくさん迷惑をかけたチームメイト、また靭帯が切れたんじゃないかと死ぬほど心配をかけたママに、この場を借りて感謝したいと思います。

今まで本当にありがとう。そしてごめんなさい。















そして、ダンスさん。いや、最後くらい名前をつけてあげましょう。
そうだな、Mr. Dance ってとこかな。




Dear Mr. Dance,

背景
  はじめまして。でも、本当は初めましてじゃないんです。
あたしはかれこれ人生の半分以上をあなたに捧げてきているんです。
あなたは結局一度もあたしのことを好きになってくれませんでしたね。いや、見向きもしてくれませんでした。
でも、あたしはずーっと大好きでした。そしてこれからも大好きだろうと思います。一生の片思いです。
  大好きなくせに、あまり上手になれなくてごめんなさい。下手の横好きってやつです。
でも踊ってるときはなぜかいつも笑顔でいられました。踊ってる時のビデオや写真の中のあたしはいつも満面の笑みでした。
  あたしの人生をこんなに楽しくしてくれたのは他でもないあなたです。かけがえのないcrewと素敵な人たちとの出会いをもたらしてくれたのも他でもないあなたです。だから、あなたには感謝してもしきれないんです。 
  これから先、perfomanceをすることはなくなっても、レッスンやなにかで、もしくは宴会芸かなにかでダンスをする日が来ると思います。その時はちょびっとでもいいから、顔を出して、できたら握手くらいはさせてください。
  それでは、体に気をつけて、また新しくたくさんの人をあなたの虜にしてくださいな。
                                   敬具 
               
                                             あなたのことが大好きでたまらない下手っぴダンサーより










本当は大好きなBulletproof Funkについて書くつもりが、あたしのダンス愛についてになってしまいました。


でも、BPFのみんなとは残り2週間ちょっとを最大限に楽しんでいくつもりだし、彼らについて書くにはちょっと時期尚早な気がするのでまた今度にします。













ダンスとはひとまずこれでお別れ!


でも、きっと、ずっと、いや、一生、いや、死んでも、




DANCE IS MY LIFE!!

マラソン・マンデイ

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またブログ書くの忘れてた。




どうやら、Marathon Mondayの前が最後の投稿みたいですね。

Marathon Mondayですが、めちゃめちゃ楽しかったです。


Marathon Mondayとは、文字通り「マラソンの月曜日」。 
年に1度、4月の第三月曜日の祝日に、ボストンで開催されるボストンマラソンに合わせて、Bostonian達は朝から晩まで飲み倒すのです。


マラソン選手も頑張ってるんだから、私たちも頑張らなきゃと言わんばかりに私たちもDrink Marathon。笑

チームメイトの家がそれぞれチェックポイントになって、各チェックポイントで違うお酒を飲むんです。サンガリア、ウォッカ、モヒート、ビールみたいな感じで。




当日の私のfacebookのEventページはこんな感じ。笑




まさかのMedical tentまで。笑 





 
朝10時に1st checkpointに集まってから、夜12時のFinish Lineまで1日中飲み倒しました。


写真はLizzが作ってくれたサンガリア。ちょー美味でrestaurant-worthyなサンガリアでした。





アメリカは、路上や野外でお酒を飲んじゃいけないんのですが、この日ばかりは無礼講。


警察官だってビール片手にパトロール。




この日、ボストンは30℃を越える猛暑で、飲み物(まぁつまりは酒)なしにはやってられないほどでした。


でもボストンで1番というほどのお祭りの日が晴天に恵まれて本当に良かったです。




私たちは飲んでただけで、マラソンもしなければ、そもそもマラソンなんて見てません。
それどころか、酔っぱらってみんなで道を横断して走者の邪魔をしました。すいません。






この写真はたしか2nd checkpointからの景色。
みんな、応援してるっていうより、

「おー、走ってるー」

くらいのノリ。







いやぁ、来年もこの日に来て飲み倒したい!!


なんだかんだ、ボストン来てから1番楽しいイベントでした。ちゃんちゃん。